余命3ヶ月のラブレターを読んで(2007/07/10)
私の父が亡くなった数日後に癌で亡くなった鈴木ヒロミツさんの本を読みました。
癌で余命3ヶ月と告げられ、彼自身の事をつづった本ですが、悲しくて涙がでました。
彼の事はよくしらないけれど、父とも年齢が近いので父の事を思い出してしまいました。
でも彼の場合は、医師から彼自身に告知され、余命何の処置もせず、自然に任せるという形で自宅でできるだけ家族と過ごされたようです。
あと3ヶ月で死ぬと告げられたら私だったら、半狂乱になって何をするのでしょうか・・
彼は最後に、生まれ変わったら息子の子供として生まれ変わりたいと言っていました。
その言葉が心に残っています。みなさんもぜひ読んでみてください。

ホノルルハワイ(2007/06/29)
LAからホノルルまでは5時間でした。久々のホノルルは本当に日本人観光客でうざい。。
アメリカの観光雑誌にハワイは、もはや日本人観光客で汚染されていると書かれていたが、そのとおりです。



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左はホテルから撮影したワイキキの町並みです。とても天気がいいでしょ?
真ん中は、夕食でいった日本食レストラン踊り子。吉幾三が経営してるんだって。高いわりには、まずいね。右は、なぜか、街角にいたエルビス。



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左は幕の内、真ん中はから揚げ定食。どれもいまいちでした。右は、何と蚊取り線香が売っていたのだ。さすがハワイです。
MIAMI サウスビーチ(2007/06/21)
生前父が、病気が治ったらマイアミサウスビーチに行きたいなぁって言ってた地へ家族で訪れました。あーお父さんもここに連れてきたかったな。。って思いを胸にマイアミの3日間を過ごしました。マイアミはアジア人はあまりみないね。ほとんどラテン系の人達であっとうされます。ビーチでもトップレスにTバックの女性を多々見ました。男性にはいいかも??



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これは私がとまったthe wave hotelです。4階だてのこじんまりしたホテルだけど、お洒落な感じで今度は彼と来たいって感じのホテルでしたよ♪1階にはバーがあって夜になるととてもお洒落なキャンドルがたくさんついて、ムード満々です。
マイアミは暑すぎて、写真を撮る気力さえありませんでした。すいません。
バハマの海(2007/06/18)
みてみて~バハマの空。




※宿泊先のすぐ裏のビーチです。シーザーサラダを作ってビーチで食べました。


暑くて暑くて20分が限界です。日本人には厳しすぎる暑さかも。。。
こんなに焼けたんだけどわかるかな??・
父の死(2007/04/28)
今日は父の死について書こうと思います。父が亡くなりもうすぐ49日があるのでそろそろ気持ちの整理をつける意味でもここに書きますね。
父は癌で亡くなりました。癌といっても悪性肉腫 平骨筋肉腫という10万人に1人という難病でした。10月の検査では腫瘍が10センチ大になっていて、緊急手術をしましたが、既に体内に転移していて手遅れでした。あと半年と言われました。転移していた為左腎臓と大腸40センチを削除し、8時間にも及ぶ大手術となりました。
その後も父は必死にリハビリをしていました。でもその甲斐なく父は3月18日なくなりました。みんなに看取られて病室で静かに息を引き取りました。先生には16日に、いつ死んでもおかしくないって言われたのに、親戚や兄弟が18日に来るからがんばってと私達家族の励ましを分かってくれたのか、(その時は既に意識はありませんでした)親戚や家族、兄弟全てと会ってこの世を去りました。
父の癌は胃を壊死させていきました。そして最後は腸閉塞で亡くなりましたが、人間が生きてるのに体が死んでいくって信じられます?
普通に普段してる胆を出すとか、咳をするとか、そういう行為が出来ないんです。胆が出ないと胎内にばい菌がたまってとても苦しいんです。普段そんな事考えた事なかった。胆が出なくて苦しむ父を私は今でも覚えています。父は享年62歳でした。まだまだやりたい事もあったと思います。最終的に父は10月に手術を受けた時手遅れであと半年って言われました。でも私達はそれを本人に告げませんでした。それは母や父の兄弟の意向でした。でも私は告知すべきだと思っていたけど最終的にはしなかった。
それを今でも私は後悔しています。もし本人があと半年の命と知ったら、果たして壮絶な苦しみを伴う抗がん剤治療を3度もしただろうか。。。もしかしたら余生を家族と自宅で過ごしたかもしれない。そう思うと悔やんでなりません。
父はとても偉大なビジネスマンでした。それは私が想像してた以上に。父の告別式、葬儀には1000人以上を超える方々が全国から父に会いに来てくださいました。
沢山の男性社員も、おお泣きしている姿を私は多々目にしました。私達家族はいつもばらばらでした。最後に家族旅行に行ったのだって15年前です。それが最後でした。でも病気になった父は、家族のありがたみを再確認したらしく、病気が治ったら、これからは家族と楽しい時間を過ごすと言っていたのにそれはかなわぬ夢となってしまいました。父の体を火葬した時、父の骨が沢山原型をとどめていた事に係りの人も驚いていました。手の指、股関節、足、顔、耳綺麗に残っていました。
私はそれを見た時、この人はただ者じゃないと思いました。そして私はそんな父のDNAを引きついています。父のようにまではいかなくても父に認めてもらえるようなビジネスウーマンになりたいと思います。そしてこの世に父のDNAを残したいので子供を作りたいと思います。孫を見せられなかった事もとても後悔しています。
とにかく今回私達にとって初めての介護でした。介護する側の苦労、多大なストレスも体験しました。そして告知の難しさも体験しました。
父の死を私は今でも受け止める事が出来ませんが5月1日に49日が来ます。父はこの家からお墓へ行ってしまいます。
私も気持ちの整理をつけて新たな人生を歩まなければなりません。でも両親はこの世に2人です。生きているうちに、親孝行して、色々な話をしておいて下さい。








友達のクロージングラインです(2007/04/12)
今日は私の友人ダニエルのクロージングラインDirtymilk(ダーティーミルク) をご紹介します。彼はとてもいい人で私も仕事上沢山助けてもらいました。
彼のデザインするアイテムは新鮮でユニークです。今後当サイトでも販売しますので是非ゲットしてね。

![]::](../../uploads/img461d137d506da.jpg)


これがデザイナーのダニエルです。HPはこちらです
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http://dirtymilk.com/
私の父(2007/03/10)
私は今日本にいます。なぜなら父が去年の10月病気で倒れたからです。父の病名は平骨筋肉腫といいます。みなさん何それ?って思うでしょ?私もそうでした。
この病気は一種の癌です。癌には3種類あるそうです。ひとつは骨にできるような骨髄白血病のたぐい、そして臓器にできるガン、そして父のように筋肉内とかそういう臓器外にできる癌を悪性肉腫といいます。父の場合は最後のそれに当てはまります。悪性肉腫は癌よりたちが悪く父の病気も10万人に1人か2人の病気で治療法がないと先生に言われました。去年の10月27日から現在も父は闘病を続けています。
父は入院してすぐ手術をしましたが、その時には腫瘍は既に10センチ大になっていました。そして肝臓と大腸をに絡み付いており、左肝臓と大腸40cmを摘出し8時間にも及ぶ大手術となりました。
私達も思っていたよりも症状が悪かった為とてもショックでした。ICUに3.4日入ってその後個室病棟に今も入っております。
私も人の介護というものは初めての体験で、介護の大変さをつくずく実感しています。愛護するがわも多大な精神力と体力を消耗しますので周りで協力してしないと自分も倒れてしまいます。これは父が入院した当時の家族写真です。


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写真左は家族写真です。左から妹、父、母、私です。3.4年ぶりに揃って撮影した家族写真です。右は父の兄弟です。父は9人兄弟の一番下なので一番上のお兄さんは今83才です。父は61歳です。
父はとても偉大なビジネスマンです。誰もが知っている大手企業の代表取締役社長でした。しかし就任半年後でこの病におかされ社長の座をやむなく降りました。とても無念だった事だろうと思います。うちの父は家庭をかえりみる事なく仕事一筋に生きてきた人間ですから。父はとても強い抗がん剤を3種類も混ぜて、24時間投与を丸3日間続けるという両方で毎月の初めに入院し、3日間抗がん剤を投与し、その後10日間位副作用に苦しみその後退院するという生活を2,3ヶ月続けました。
抗がん剤というのはとても強い薬なんですね。点滴で投与するのですが、もし身体にもれたら身体が焼けてしまうそうです。そして悪い所癌を殺してくれる作用があるけど元気な細胞や臓器をも破壊してしまうというリスクが伴います。吐き気、頭痛、食欲不振、白血球の低下など沢山の副作用に襲われ、髪の毛も抜けてきて一緒にいるのが辛かったです。


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この写真は第一回目の抗がん剤が終わって自宅でクリスマスを迎えた時の写真です。
家へ帰ると母が私に帽子を渡して「今日からうちではみんなこの帽子をかぶるのよ」といいました。私は父が髪の毛が抜け出して気にしているからみんなでかぶろうって事なんだろうけど母の何気ない父への思いやりに胸があつくなりました。父は体重が20キロも落ち食欲もありませんので気分だけでもという事で小さなケーキを買ってきました。
1月5日から第二回目の抗がん剤治療がはじまりました。父は、いやだなーといっていますがそれしか生きるすべがないのですからノーチョイスです。私達も影ながら父を応援し、看護にあたりました。これは入院初日の写真です。しかしこの時にはずでに肝臓への転移がみられました。私達はとてもショックでした。本人もショックだった事と思います。医学が発達している今日どうして。。って悔しい思いでいっぱいでした。


抗がん剤が終わって退院の日になりました。肝臓にあった影は消えていました。とても嬉しかったです。父は思い切って髪をばっさり刈ってしまいました。そしてまた体重がおち182センチもあるのに65キロになってしまいました。食欲もおち、体力もぐっと落ちているのがわかります。抗がん剤をするとそれだけで疲れて死んでしまう人も多々いると聞きますが、その通りだと思いました。父ももうこれ以上抗がん剤は出来ないだろうし、もうやりたくないっていってました。


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これは2月23日父の誕生日です。会社から大きいケーキと、左のは私が送ったケーキです。ささやかながら家で誕生日をしました。父はこの時すでに食欲もなくケーキも一口たべましたが、階段をあがって自分の部屋にいくのも大変なようでした。この4日後、父はおなかの痛みを訴え、緊急入院となりました。
残念ながら、また悪性肉腫が数箇所に転移し、それらが胃を圧迫して腸閉塞を起こす寸前なので激しい腹痛に襲われてるそうです。この時から24時間家族がついていないと困難になり私と妹そして母の三交代介護がはじまりました。
父に転移の事を話すとすごくショックを受けていました。私達も何と声をかけていいのかわからず本当に辛いです。父はその後日に日に弱り、入院してから絶食と飲み物のたいして飲めないのでさらに体重が減ってしまいベットから起き上がる事も困難な状況になっています。私はそんな父を見てなんともいえない気持ちです。でも今私が出来る精一杯の事をしてあげるつもりでいます。
みなさん親は生きているうちに、親孝行してあげて下さい。私ももっと親孝行しておくべきだった。孫の顔でも見せてあげたかったと色々後悔しています。
今は父が一日でも長生きして、もう一度家に帰れる事を切に願っています。
。。。。(2007/02/24)
今日はとてもブルーです。大切な人を失った気がします・・・・
ホテルオークラに泊まりました(2007/02/01)
今日は港区にあるホテルオークラに家族で滞在しました。
正規に予約すると4万円近いですがインターネットのyahoo travel から予約するとツインで朝食付で1部屋25000円でした。
お部屋はこんな感じでした。
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ホテル内にはレストラン、バーを始め郵便局やドラッグストアやお菓子売り場などあり、六本木までもタクシーでもすぐです。
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中華レストラン
お菓子やパンやお惣菜売り場
バーです
さすがインターナショナルなホテルです。外国人の方もたくさん来ていました。
私の友達も私に会いにきてくれ、どこで隣に座ったうちの父と同じ年齢の紳士とお話に盛り上がってしまいました。彼は中国に住んでるらしく、万里の長城の素晴らしさについて延々と語っていました。そのことについては明日書こうかな。
私と母はホテルの前に立つ大倉集古館に行ってきました。そこには昔の出土品や昔の着物や壷や大仏などが展示されていましたが写真撮影がだめだった為に写真はお店できませんが、今日は是非ホテルオークラの創立者について感動した文章があったの書いてみたいと思います。
私は最近よく両親に言われる事があります。自分だけ良ければいいという考えでは幸せになれない。他の人にも思いやりを持ちなさいと言われています。
私は以外と自分さえ良ければって所があったので最近は自分が出来る範囲で他の人に何か出来る事があればするようになるべく心かけています。
私の話はさておき私が今回紹介したい人物はホテルオークラの創立者大倉喜八郎氏とそのあとを継いだ大倉喜八郎翁とそのあとを継いだ大倉喜七郎翁についてです。
なぜこの2人に感銘を受けたといいますと、彼らは日本でも3本の指に入る大財閥で巨万の富を持ちながらも教育・文化・社会に貢献するという気持ちをいつも持ち続け学校や福祉施設を多く建設し富を社会に還元した人だからです。
そして私達の行った美術館は彼が集めてきた貴重な絵画、彫刻、工芸品、考古発掘品、漢籍等のコレクションを日本発の法人美術館としてオープンさせた美術館です。




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これらの仏像が外においてあったけど誰なんだろう。。。。
★ 大倉喜八郎が足跡を印した会社・団体★
大成建設・大倉商事・ホテルオークラ・東京電力・東京ガス・帝国ホテル・新秋元工業・東海バルブ・日本化学工業・帝国繊維・東京製鐵・リーガルコーポレーション・ニッピ・日清製油・サッポロビール・アサヒビール・日本興業銀行・北海道拓殖銀行・帝国劇場・日本無線・千代田火災会場・東京経済大学・関西大倉学園・大倉集古館・東京慈恵会・東京都養老院・済生会・東京商工会議所・東京新潟県人会などなどです。
すごいでしょーー。
大倉財閥の創始者大倉喜七郎男爵
喜七郎の後を継いだ喜八郎男爵
大倉喜八郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%80%89%E5%96%9C%E5%85%AB%E9%83%8E
大倉喜七郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%80%89%E5%96%9C%E4%B8%83%E9%83%8E
ホテルオークラ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%A9
大倉財閥
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%80%89%E8%B2%A1%E9%96%A5
「そして大倉喜八郎の豪快なる人生」砂川幸雄著/荘思社からも本が出ています。
History of the hotel Okura..
If you have a plan to come to Japan.. you should stay at Hotel Okura..
Because it is very nice hotel. There is a wonderful Japanese garden and good restaurant s and bars etc…It is near from Roppongi( there are many bares and clubs etc..) too so it is easy to go out to many places.
And you can go there from the Tokyo Narita airport by limousine bus.
Anyway I am writing about Initiator at this hotel because he was a wonderful person.
★ History of the Hotel Okura★
“ I have a dream”
These words were spoken by Baron Kishichiro Okura.founder of the first international luxury hotel in Tokyo. His aim was to offer all the modern conveniences of its rivals, yet retain the subtle charm and nuances of Japanese tradition. The opening of the Hotel Okura on May 20, 1962 was the result of years of careful planning. The Baron, methodically visited luxury hotels both within Japan and abroad, analyzing and critiquing their strengths and weakness, , in an attempt to determine exactly what the perfect property should consist of.
Co-founder of the Hotel Okura, the late Iwajiro Noda was an equally dynamic personality. for his efforts, He received numerous awards. His highest distinctions include the award Beatrix of the Netherlands, for strengthening ties between the Rising sun, granted by Japanese Government, in recognition of his outstanding contribution to international tourism and cultural exchange.
The essence of their philosophy is immediately apparent upon entering the Hotel Okura, A tranquil ambiance welcomes weary travelers. “shinsetsu” (kindness) and “wa” (peace) harmonize to create the ubiquitous serenity for which the hotel Okura is meticulously designed the luxurious accommodations to reflect traditional elements of Japanese culture. More recently , the British Royal Family, headed the effort to modernize room décor throughout the hotel, yet with the same attention to detail and tradition.
They are very rich family but he was still care about other people very much and They contributed to the education, the culture, and the society and they constructed(built) Nursing Homes and schools too.
Anyway if you want to know about them , you should go this link
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Kishichiro Okura
http://en.wikipedia.org/wiki/Okura_Kishichiro
Okura Kihachiro
http://en.wikipedia.org/wiki/Okura_Kihachiro
Hotel Okura Official website.
http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/index.html
硫黄島からの手紙/ Letters from Iwo Jima(2007/01/15)

硫黄島からの手紙を見てきました。歴史好きな私にとっては今までと違った戦争映画だったなと。そしてとても感動しました。
アメリカ軍が5日で落ちると言われた硫黄島を36日間に渡って持ちこたえた壮絶な戦いをクリントイーストウッドが監督を務めた作品です。この映画は日本人からみた戦争でこの時の戦争をアメリカからみた映画が父親たちの星条旗でした。こちらもまたいい映画でした。私が感銘したのはこの時の大日本帝国陸軍硫黄島総指揮官 栗林忠道中将です。
彼はアメリカに留学していた経験も持ちいかにアメリカと戦争をする事が無意味な事を 知っていたのにも関わらずアメリカとの戦争の指揮官しかも負けるとわかっている戦争を、素晴らしい作戦の元最後までやり遂げたかがこの映画で伝わってくると思います。まだ見てない人は是非みてください。
ちなみに父親達の星条旗なんかもみてね。そして彼に興味がある人は是非本も読んでみてね。
栗林中将について知りたい方はこちらのサイトへ行ってみてね。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%97%E6%9E%97%E5%BF%A0%E9%81%93
Have you seen that movie “”Letters from Iwo Jima “” ? Directed by Clint Eastwood. You should watch. Kuribayashi Tadamichi is a great commander in the Iwo jima.
if you wanna know bout him more ,, you should go hrere
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http://en.wikipedia.org/wiki/Tadamichi_Kuribayashi




私が読んだ散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道 (単行本) 梯 久美子 (著)
もお勧めです。是非読んでみてね。















